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白沙村荘・橋本関雪記念館(はくさそんそう はしもとかんせつきねんかん) |
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| 「石も木も呼吸している」と言った、日本画家・橋本関雪の邸宅です。大文字山を借景にした池泉回遊式庭園には180点もの石仏が置かれ、落ち着きのある素晴らしい空間を作っています。石塔の他にも至るところに、石造物が置かれ、自然の草木にとけ込んでいます。敷地内には関雪の設計による茶室などもあり、日本の庭園らしい一面が見られます。 | | |
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| 橋本関雪(かんせつ)は大正から昭和の京都画壇で活躍した日本画家です。本名を橋本貫一(かんいち)。関雪という雅号は、逢坂の関にまつわる故事にちなみ、父である橋本海関(かいかん)翁がつけたものです。明石藩の藩儒を務めていた橋本海関と、その妻フジの間に生まれた関雪は、幼い頃より橋本家をとりまく漢学・儒学に基づく環境の中で育ちました。この環境は、終生関雪に大きな影響を与え続けます。新たな時代が求める日本画の姿を模索するため、洋の東西を問わず美術探索に力を注ぎ続ける関雪。終戦を間近に控える昭和20年2月。独往の画家はその激しくも短い生涯を、折りしも雪の降りしきる白沙村荘で終えることとなりました。 |
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| 関雪の父、海関は旧明石藩に仕える藩儒でした。橋本家は代々剣道の師範として若い士官を訓練するとともに、儒学を以って教育を施していました。海関はこの時期の人間にしては珍しく身の丈約180cm近い大男であったと伝えられています。純粋な学者であり、文人であったのですがその教養は海を越えて知られるほど深かったと言われています。日本全国に留まらず、外国人の弟子がたくさん居たといいますから中々の人物だったのでしょう。橋本家では、毎日のように政客や神戸の商館からの門客が多数集い様々な議論を闘わせていたといいます。そのような環境が幼い関雪に多大な影響と、終生消えることのなかった大陸への憧憬を育ませたことは間違いないでしょう。 |
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本殿は、秀吉播州征伐の際兵火にかかり焼失し、その後寺沢越中守広政を奉行として天正18年(1590)再建されました。幣殿は明和2年(1765)創建の瓦葺切妻造。幣殿の天井には、約2メートル四方の絵が9面描かれており、中央に龍図を置き、藤・桜・梅などの花木図を配する大作です。作者は江阿弥(こうあみ)という絵師だが、江阿弥についての伝記はあまり判然としていません。元禄10年(1700)前後に生まれ、安永4年(1775)以前に没したと推定されています。本姓を安村といい、大阪で活躍した大岡春卜に師事したといわれています。高砂周辺には彼の筆になる作品が何点か見られ、高砂神社には「従瀧野到高砂之図絵馬」と「猿曳図絵馬」が残されています。
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| 吉川英治は「鳴門秘帖」「松のや露八」「宮本武蔵」「太閤記」「新・平家物語」「私本太平記」をはじめ、長編約80編、短編約180編という膨大な小説を執筆し、多くの人々に愛読され、国民文学作家と親しまれました。 |
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開館時間 |
朝10時より夕方5時まで(受付は4時30分まで) |
| 定休日 |
年中無休(年末・年始も無休) |
| 入館料 |
おとな 800円
こども(小中学生) 550円
30名以上 1割引
高校大学生 600円 |
| 駐車場 |
あり(1時間700円)20台 |
| アクセス |
JR京都駅より市バス5・17系統銀閣寺方面行30分、銀閣寺道より徒歩3分 |
| その他サービス |
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