794年に桓武天皇が京都に都を遷してから1869年に東京に都が遷されるまでの約1000年以上に渡って政治・文化の中心でした。それが平安京です。南北5.2キロ、東西4.5キロの年でした。平安京中枢の大内裏の前を南下する道を朱雀大路通りと呼ばれ、その朱雀大路を境として大内裏から見て左(東側)を左京、右側(西側)を右京と呼んでいました。平安時代の後期になると首都名がつけられるようになり、「京都」という首都を意味する地名となりました。左京は「洛陽」右京は「長安」と変換され、以前の左京の中心都市は「洛中」、その外側については「洛外」、二条大路を境に北を「上」南を「下」と呼ばれるようになり現在の上京・下京と変わっていきました。
京都の気候といえば、「夏は蒸し暑い」「冬は底冷え」と定番のようにいわれます。年間平均気温は15度。盆地であるために1日の気温変動や夏冬の気温差が激しいのが特徴です。夏は風が弱く熱気が溜まりやすく、夜は風が吹くことがほとんどないため、熱帯夜になることが多く、冬は山で囲まれた盆地ということで、放射冷却現象により冷気が溜まりさらに寒くなります。これが底冷えの原因です。また、夏の暑さをしのぐために、玄関や表に打ち水をし、水分の蒸発により温度を下げたり、直射日光の当たる屋根は低くしたり、表は風通しのよい格子戸にするなど様々な工夫が数多く見られます。
平安時代平安京に作られた販売施設のことを「店屋(まちや)」と呼ばれていました。
町屋は「うなぎの寝床」と呼ばれる程、家の間口が狭く、奥行きが長いのが特徴です。また、どの町屋にも見られるのが「通り庭」です。足元を戸間で固め中戸で手前の店庭と奥の台所に分けられています。そして京都の蒸し暑さをしのぐため、ふすまなどの建具を簾戸や簾に変えるなど、京ならではの涼の工夫が様々見られます。
町屋の顔とも見える「千本格子」は、格子を外すと商い用の顔、閉じればプライベート空間と変わります。外から町屋の中を覗くことはできず、町屋の中からは格子をとおして外の様子が見える構造になっています。
その他、「犬矢木」「鍾馗さん」「出格子」「駒寄せ」などの工夫もたくさんあります。
最近では町屋の生活を体験できる宿泊施設や、町屋暮らしをする人が多くなりました。
初めて見ると「何?」と思う方が大半だと思いますが、京都の住所には『上ル下ル入ル』という住所をよく見かけます。これは京都の地が碁盤の目のように区切られており、東西南北を直線で道が走っているため、北へ行くことを「上ル(あがる)」、南に行くことを「下ル(さがる)」東へは「東入ル(いる)」、西へは「西入ル(いる)」といいます。
また、通りにも由来があります。
* 「椹木町通(さわらぎちょう)」は、椹(さわら)を販売する木材店が多かった。
* 「麩屋町通(ふやちょう)」はこの近辺には昔、麩や豆腐を販売する人々が多く住んでいた。
* 「先斗町通(ぽんとちょう)」この近辺は「御崎」と呼ばれており、先はポルトガル語で“ぽんと”と意味する。ダジャレのように付けられたようです。
京都は昔から家庭で「どぼ漬け」といわれるぬか漬けを作っていました。どんなに料理がおいしくても、漬物がまずければそれまでのどんなに美味しいご馳走も台無しになるとも言われるほど重要な役割をしているのが、京都の漬物。
昔から京都は気候性により食べ物の保存技術が発達していました。その保存技術を大いに活用したのが京漬物です。そしてなんといっても、京都は質のよい野菜が採れるという土地でもあります。伝統野菜としては上賀茂地区でしか栽培できないといわれる「すぐき」や有名な「千枚漬け」は聖護院かぶらを使っています。京都独特の気候と、おいしい水から成る京野菜だからこそできる漬物といっても過言ではありません。